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「地頭がいい」人になるための最も簡単な方法を解き明かしました

2018/11/06 代表ブログ

この20年ぐらい、この「地頭(じあたま)がいい」という言葉をよく耳にします。
今日はこの「地頭を良くするための方法」について書きたいと思います。

今回は10月に書き、長いと言われていた「1秒でも早く考えておかないといけない「働き方改革」で到達するかなり残酷な未来と日本は本当に生産性が低いのか?そしてワークライフバランスの先。」にもまして長いブログです。

最後まで読んで頂ければわかりますが、今回はその「長さ」にも意味がありますので、ぜひ頑張って読んでもらいたいと思っています。

 

さて「地頭がいい」という話ですが採用などでも、

「学歴の良い悪いよりも地頭がいい人がいいよね」

といった風に言われます。

先日30歳ぐらいの男性と飲んでいた時に話に出たのですが、

「自分の人生の先輩みたいな相談に乗ってくれる人と話しをしている時、その人は東大卒なんですけど、地頭がいいというか、自分がその人と話をしていると頭悪いというか話についていけていないのを感じたんですよね……」

といった事をいっていました。

地頭」という言葉をネットで調べてみたらこう書かれています。

大学などでの教育で与えられたのでない、その人本来の頭のよさ。一般に知識の多寡でなく、論理的思考力やコミュニケーション能力などをいう。「地頭がいい」「地頭を鍛える」
引用:https://dictionary.goo.ne.jp/jn/92605/meaning/m0u/

この記述の通りで、「地頭がいい人」は知識の詰め込みではなく本当に「地の能力(脳力?)が高い人」、真の意味で「賢い人」「知識ではなく智慧がある人」というような意味で通っているように見受けられます。

そしてこの「地頭がいい人」に相対した時、多くの人は、

「この人とマジ賢いわ……かなわない……」

と、なんとなく「どうやっても勝てない」「負けた」と感じてしまうようです。(前述の30歳の子もそうでした)

そこには「地頭の良さは先天的」「知識は後付でできるけど地頭を良くするのは無理」というような、そこはかとない諦め感があるようにも感じられます。

ただこの「地頭がいい」というのは後天的に作れない……といよりも、前述の引用にもある「地頭を鍛える」ということはそもそもできないものなのでしょうか?

そういった疑問をずっと抱えていたのですが、最近私なりに「地頭を鍛える・地頭を良くする方法」「地頭のいい人というのはこういう事をしている人なのではないか?」というものをまとめてみました。


「地頭の良さ」とはどういうことかを考えてみる

そもそも地頭の良さとは何かを考えてみることにします。
思いつくこととしては、「頭の回転が早い」「発想力が高い」「思考力がある」「いろいろなことを知っている」「1を聞いて10を知る」などでしょうか。

そのままではあまりに抽象的でとらえどころがないので、これらの条件・状態をもう少し分解・分類してみたいと思います。

「頭の回転が早い」

この「頭の回転が早い」というのは、相対している人からすると「すぐに答えがでてくる」という結果になります。ですが当事者側の視点で考えると(似たような言い回しが多くなってしまうのですが)脳内の動きとしては、

  • 単位時間あたりに自身の情報に対して検索できる知識の量が多い
  • 単位時間あたりに「問題提起→それに対して答え」を出すまでの時間が短い
  • 単位時間あたりに「問題提起→それに対して答え」を複数個出せる。
  • 単位時間あたりに「問題提起→それに対して答え」を複数出した上で、更にそれを検討・吟味する量が多い

といったことになります。

この一連の作業があまりにも「早い」ので、相対している側としては「すぐ答えが出てくる」と感じてしまう訳です。

ですが「一連の作業が早い」というだけのことなので、当人側からしたら「一発一中で答えを出している」訳ではないし、「すごく考えて考えて、試行錯誤をいっぱいして、その中で多分これかな?と思うこと」を言葉にしているだけなのですが、それを見ている人からは「頭の回転早いですよね?!」と言われまう訳です。

ちょっとずれてる気もしますが、スポーツカーを200キロとかで運転すると、ドライバーは神経をそれなりに使って運転してるけど、軽自動車しか運転していないドライバーからは「スピード200キロとか軽く出るって凄いですね!」と言われるような感じでしょうか……。

「発想力が高い」

発想力とは何でしょうか?

考えられるのは「一つのアイデアから別のアイデアを作り出せる」ということになります。
この時もう一つよく言われているのは「ゼロから生まれるアイデアは少ない。多くのアイデアは何かと何かの組み合わせである」というものです。

これは私も同意です。
そうなると発想力には大前提として「多くの情報を知っている」必要があり、残酷ですが「知識量」が無い限り「発想力は得られない」ということになります。

しかしその知識量を得た後に「組み合わせ力」が必要になります。
組み合わせ力は脳内だけでやるか、紙やデジタルツールなどを使うかの違いはありますが、「考具 ―考えるための道具、持っていますか?(古い本ではありますが良書です)」で紹介されているような「幾つかの発想力をフォローするツール・発想法」を同時に使えばある程度のレベルには絶対に達成することができます。

その上で「地頭がいい」という意味では、前述の「頭の回転が早い」という部分でも話をした通りで、発想に至るまでの時間が短くなる必要があります。
(同じ時間で沢山発想できる、というのは結局一つの発想を生み出す時間が短いのとほぼ同義なので)

「思考力がある」

思考力がある、というのも調べてみましょう。

考えること。経験や知識をもとにあれこれと頭を働かせること。「思考を巡らす」「思考力が鈍る」
哲学で、広義には、人間の知的精神作用の総称。狭義には、感覚や表象の内容を概念化し、判断し、推理する知性の働きをいう。
心理学で、感覚や表象の内容を概念化し、判断し、推理する心の働きや機能をいう。
引用:https://dictionary.goo.ne.jp/jn/95635/meaning/m0u/

と書かれている通りで、思考力とは「経験や知識をもとにあれこれと頭を働かせる」ということです。

この要素には重要な点があって、「知識と経験」がある程度必要になってきます。もし「知識と経験」が一定量あり「時間」という観点を気にしなければ、「地頭がいい」という人と同じ答えを導きだせる可能性が高い訳です。

ここで考えるべきは「思考力」を身につけるには何が必要か?ということ。

  • 「知識」は冒頭の引用にあるように地頭の良さの要素ではないようなので、「思考力」という力の要素からは除外します。
  • 「経験」についても、冒頭の引用を元にすれば「論理的思考力やコミュニケーション能力」ではないので、これも「思考力」の要素からは一旦除外。

すると残るのは「時間」になります。ですので、前提条件となる「知識と経験」の量があるならば、「評価を受ける思考力」という観点においていちばん重要なのは「時間」となってくることになります。
思考力の鍵となってくるのは「時間」が重要な要素のようです。

「いろいろなことを知っている」

この言葉も単純に「知識量が多い」というだけではない要素があると考えられます。

知識量が多いだけで「地頭がいい」という視点での「いろいろなことを知っている」にならないというのは、冒頭の引用にある「一般に知識の多寡でなく」という部分に該当するため、やはり「知っているだけ」ではだめのようです。

もちろんこの観点における最重要要素は「知識量」です。
ですが「地頭の良さ」という意味ではその「脳内の知識の検索や情報を引き出す速度」が重要です。なぜなら「ゆっくり思い出すなら思い出せる、でもあの場、あの時に思い出して知識として使える」ことが重要だからです。

その意味で「蓄えた知識を有機的につながっていて、かつ引き出せる状態」にしておくことが必要があります。
知識量に合わせてこれが満たされた時に「いろいろなことを知っている」といえる状態になるといえます。

「1を聞いて10を知る」

「1を聞いて10を知る」人の頭の中で起こっていることを分解してみましょう。

他人の頭の中を言語化できてるわけではないので、これは名村の頭の中を分解して、更に「恐らく……」ではありますが、こういった事ではないでしょうか?というものです。

  1. Aという情報を聞いた(得た)
  2. Aを元として複数の関連性のある事象を知識から引っ張り出した
  3. 引っ張り出した情報を元にして、それぞれの関連性を検討する
  4. 知り得たAという情報を軸として、関連性のある情報を比較検討、優先度付け、共通項の洗い出し
  5. それらの情報から「Aの先にありえそうなこと=B」を想像する
  6. Aから発想した「B」を元として、それに更に複数の関連性のある事象を知識から引っ張り出した
  7. 「3」に戻って繰り返す

といったことが頭の中で起こっていると思います。

上記の「2」は知識量と「思考力」の部分です。
上記の「3」の部分は「発想力」の部分になってくると思われます。

「地頭の良さ」の要素を分解してみた結果

ざっくりですが、「地頭がいい」といわれる要素を洗い出して、それぞれを分解してみました。これ以外でも皆さんが「この人、地頭がいいよね」と思う事象を思い浮かべ、なんでそうなるのか?を分解していってみてください。

今回の結果でいえば幾つかキーワードが出てきました。

  • 知識量
  • 知識の有機的な連携・整理
  • 発想力
  • 単位時間

こういったことを「全部同時に満たしている」人が「地頭がいい」と言われる条件にはなってきているような感じです。逆にいえば、これらを身につければ「地頭がいい」という状態になってくる訳です!

おぼろげながらですが、憧れの「地頭がいい」への道が見えてきたように思います。

ここからはそれを身につけるための方法論に移っていきます。

「地頭の良さ」に至る上での前提条件の「知識量・経験量」


この先に行くまえに「知識量・経験量」の問題をやっつけちゃいましょう。
「地頭の良い」となる上で、冒頭ではその要素ではないらしいのですが、どうやら知識量・経験量が少ないと、どうにもならないということが見えてきました。

この2つを分解してみましょう。

「知識量」

知識量を増やす「具体的な行動」をしていかない限り絶対に増えてはくれません。
この時に大事なのは「有機的な連携・整理がなされている知識を殖やす」ということです。
「有機的な連携・整理」といっているのがどういうことかを少し書きます。

知識には複数の情報が紐付いています。

知識そのものの意味

例:「鉛筆」
顔料を細長く固めた芯(鉛筆芯)を軸(鉛筆軸)ではさんで持ち易くしたもの

知識そのものに付随する意味

例:「鉛筆」
筆記用具、濃さが幾つかある、濃さによって書き味の硬さ・柔らかさが違う、そのものの材質(木・墨を固めたもの)、削って使う、削るにはナイフや鉛筆削りを使う、使うと短くなる、力を入れると折れる、先が丸くなると書きにくくなる……など

このうち「付随する意味」は、データ的に言えば「タグ」「メタ情報」みたいなものです。新しい情報を得た時にこの「付随する情報」を沢山付与できればできるほど「有機的な連携・整理」が行われていくことになります。

少なくとも「いろいろ知っている」という人は、一つのことを知るたびに恐らくほぼ無意識に、

  • 想像できる付随情報を同時にいっぱい考えている
  • 既知の情報との関連性も考えている

ということが頭の中で行われているはずです。

情報の関連性を考えながら記憶しているので、実は「沢山いろいろなことを知っている」人の方が、それまで知らなかった新しい知識を記憶するための労力・負荷が少ないことになります。

知識がある一定の量を超えている人にとっては、新しいこと覚えるときにも「前に知ったアレと似てる……」「前に知ったこれに関連している……」と、過去の情報との間で補完しあっているので、知るための労力も少なければ記憶に定着させるための労力も少ないのです。そうなるとよりいっそう自然に、有機的に繋がりのある知識が得られます。

結果として覚える負荷が少ないので、新しい情報を習得する負荷は指数関数的にどんどん軽減され、一層「沢山いろいろなことを知っている」状態になるでしょう。

逆に言えば「有機的な繋がりのある知識」を得るためには「一定量の知識」をまず覚える必要があります。穴ボコだからけのチーズのような状態ではそこに至れないのです。

ではその「知識」はどうすれば取得できるのか?ということです。

必須条件となる「一定量の知識」のためには、ジャンルも問わず目に写るものは「なるほど、そういうものか、知らなかったことを知れた!よし覚えておこう」と思い、なんでも記憶していくことが重要です。

私の周りの「地頭がいい人」でいえば「知ること自体に興味が強い」方が多いです。
そして知ることに対して素直で、自分と異なる意見であってもまず聞き入れる性質の方が圧倒的に多く、すでに地頭がいいのに自身が知らないことに対して「なぜなぜ攻撃」をしてきます。

一方で「その知識は意味があるの?」「知ってどうするの?」と受け取る時点で取捨選択をしようとしている方は、その判断をしている分だけ情報取得が遅くなっている印象があります。
ですのでまずは「情報を得られること」そのものに価値観をおいて、日々のテレビ・ラジオ・雑誌や広告、Webサイト、街でひと目を引こうとしている情報……などを見るようにすることが肝要です。

「経験量」

「経験」というのは、実は生きている時間、もっといえば「起きている時間」の分だけ、すべての人は何かしらの経験を積んでいるはずなのです。

しかし人は意外と「自分が何を経験してるのか?」というのを理解しておらず、「僕、平凡な人生なので、経験少ないです」と感じてしまうことが多いです。

その観点で考えると、今回のテーマにおける「経験」では、目に映るものを情報化しているか?ということになります。
そして主に経験というのは「しんどかった」「楽しかった」といった精神的な作用や感覚が強いため抽象的な状態なのですが、それを言語化・具体化する作業が必要です。

僕はこれを「使える経験にする」と呼んでいます。

精神的な感覚として、楽しい・苦しい・キツイ・ツライ・普通……といった状態において、

  • 誰と
  • どういうことをしていて
  • どういう経緯で
  • どうなった時
  • 身体的にはどこがどうなっていて

結果として「なぜその様に感じたのか?」を具体化しておく必要があります。
厳密に言語化しなくてもいいのですが、流れすぎていく感覚としてではなく、軽くでも分析する癖を付けておくべきです。

人間が一日で受領する経験量は言語化すると恐らく莫大な情報量になるので、すべてを記憶していくのは無理かもしれませんが、一度脳内でも言語化しようとすればある程度記憶への定着が行われます。

また経験は「使おうとする」意思が必要です。
「あの時の経験を使えないか?」という観点で自分の過去を振り返ると、意外と使い回せる過去の経験が多いはずです。
ですが「こんな経験使えない」と思ってしまうと二度と使うことはできず、過去に「具体化」してこなかった経験はまったく定着をしていないので「使える経験」になってくれていません。

ご存知の方もいるかもしれませんが、私は過去にプロとして舞台俳優・声優をしていました。実際そちらで立身出世をしようとしており、Webディレクターとしての仕事、もっと言えば現在の経営者の立場は20代の頃にはまったく考えもしていませんでした。

現在役者は廃業をして現職な訳ですが、当時の経験は、

  • セミナーで大人数に向けて話をする
  • お客さま先で説明をする
  • 自社内で社内メンバーに説明をする
  • 企画書で説明をする

といった演劇での表現のおける「他者に何かを伝える」能力は、現職に十二分以上に利用できています。ですがこれも「役者時代の経験は意味がないし……」と思ってしまえば自分の経験が使える能力だと思うこともなかったはずです。

前述の「使える経験にする」活動をしているかそうでないか……という観点でいえば、1秒でも無駄にはできない感覚が私にはあります。そうしなければ長く生きていても「使える経験量」が少ない……という状態になるからです。

無努力で身につける方法は誰か考えてください

ここまで話すと「最低限の知識を得るための努力ができる人じゃないとだめってことでしょ?」というご意見もあるでしょう。

残念な話ですが、人は全員が平等ではありません。
地頭がいい、という前提条件が「ある程度の知識を身につけられる人」「そのための努力ができる人」というならば、たしかに「それができること」自体が才能という話に帰結してしまうかもしれません。

また「そんな大層な努力しなきゃいけないのかよ?」と言われてしまうと、少なくとも私の頭で思いつくのは「そうなりたいならば、意味のある努力と苦労は必要」というのが現状での答えです。

最近「努力をすることが悪」のような感じがそこはかとなく流れているのですが、私は「努力をすることが悪」ではなく、「必要な方向に努力」をすることが重要と思っています。
その意味では「無闇やたらに努力する」よりは方向性が分かっている方が遥かにマシで、その精度を上げるために人間は知を紡いできたのではないでしょうか。
ですので「無努力で地頭の良さを身につける方法は今の所ない」と思っています。

「地頭を良さ」とは連続して脳に負荷を与え続けられる時間に比例する

さて冒頭で読み解いた地頭の良さの要素として、「単位時間」が残っていますね。単位時間を考えたとき要素として、

  1. 答えを出せるまでの時間
  2. 答えが出せるまで継続的に考え続けられる時間

上記2つが考えられます。前者の「1」でいえば、当然ながら地頭がいい人は「短い」ということが価値になるでしょう。

地頭がいい人というのは、短い時間の間に前段で書いた「知識」と「経験」を組み合わせ、問題となっているものに対して複数の過程や想定を繰り返し、具体化と抽象化をおこなった結果として「その答えは◯◯である」という答えにたどり着くわけです。

ほとんどの人は「思考」において上記の過程を踏んでいると思います。そして「地頭がいい人」というのは、この「問題提起→回答案の導き出し」までの時間が極端に短い訳です。

つまり一定量の「使うことができる」知識と経験があり、それらを組み合わせる事ができれば、ある程度「地頭がいい人」と同じがそれに肉薄できる「答え」を出せる。要はそこにいたるまでの「時間が長いか短いか」という話になってきます。

そこで重要になってくるのが「答えにたどり着けるまで『「知識」と「経験」を組み合わせ、問題となっているものに対して複数の過程や想定を繰り返し、具体化と抽象化』という活動に対して脳を動かし続けられるか?」ということです。

「考える」という行動自体は、思っている以上に脳に負荷がかかります。
その「負荷」にどのぐらいの時間連続的に耐えられるか?というのが、地頭の良さを構成する要素と考えています。

この時、重要なのは「一つのテーマで考え続ける時間」です。

テーマの大きさは問いません。
単純な「1+1はいくらか?」でもいですし「特殊相対性理論とはどういうものか?」でも構いません。

テーマとは、「その人にとって答えを出すべき事象」と言ってもいいと思います。

多くの人は日々の仕事の中で何かしら答えを出す必要が続きます。その事について頭の中でさまざまなことを逡巡していくと、あるタイミングで「もう頭がうごかなーい!」いう瞬間がきます。
その瞬間は人によって、5分の場合もあれば1時間の場合もありますし、何時間でも平気、という人もいるでしょう。

まずこの「持続時間」が短い人の場合は、恐らく「地頭がいい」状態にたどり付けないと感じています。

何故か?

地頭のいい人は、他者から見た時に相対的に「早い」かもしれませんが、頭の中では冒頭で書いた「1を聞いて10を知る」の動きを順番に行っていっています。
要領を得ないうちは、この一つ一つの過程に物理的な時間がかかります。その間、頭ではずっと一つのテーマについて考えている状態を持続しつづけなければなりません。

この「思案し続けている状態」に脳が耐えられるか?
耐えられない場合「もう考えられない、もういいや」となり、結果として「浅い思考」で終わるでしょう。

浅い思考でも答えが出る場合もありますが、浅い思考だから答えが出ない場合も出てきます。

「地頭がいい人」というのは「難解なこと、はじめてのことでも答えを出してくる人」であり、前述の「答えが出せないことが少ない人」といえます。

そうなると「長時間の思考に耐えられる」かどうか?というのが「単位時間」を考える上での重要な要素と位置づけました。

脳の動きの理解や鍛えることが難しいのは、自己意識下で動かすことのできる随意筋と異なり「どの様に鍛えたらいいか?」がわかりづらい事です。
ですが脳も成長する臓器である以上、外的要因から鍛えられると考えています。

この「長時間の思考」を継続的に繰り返す事によって脳は「知識と経験」の呼び出し方・引き出し方を理解し、訓練を繰り返すことで「思考の一つひとつのプロセスにかかる時間」が短くなっていきます。

その結果として「単位時間当たりに巡らせる事ができる思考の量」が増え、相対的な時間は短くなり、他者からみた時「答えがすぐ出てくる人」、つまり「地頭がいい人」となるのではないでしょうか?

その意味でもっと正確に言えば「脳で使っているエネルギー量✕それを持続させる時間」の総和が大きい人こそ、「地頭がいい人」としての要素になってくると言えます。

「考える」という活動そのものに慣れてきた人は単位時間辺りの「思考量」が増えていますが、その分瞬間的に脳が使っているエネルギーも増えています。
ですが使っている時間は減っているのです。

「脳に負荷を与え続ける時間」を延ばすための「読書」

ではどうやれば「思考を継続的に続けられる」ようになるのか?その訓練方法はなんでしょうか。
その答えとなる一つの方法に私は「読書」があるのではないか?と思っています。

多くの先達は「本を読め」「読書をしろ」といいます。
ビル・ゲイツも本の虫であるというのは有名です。

著名な成功者8人が強調する「読書のパワー」
引用:https://www.businessinsider.jp/post-100406

などを引き合いに出すまでもなく読書の有益性については言われています。

しかしこれまで読書は「知識量を増やす」という側面でしか語られていない……というよりも、捉えられていませんでした。

もし「知識量を増やすため」であれば、現在の情報爆発のこの時代、多くの人が毎日のようにWebでさまざまな情報を見ています。
そうすれば少なくとも日常的にWebに触れている人は「多くの情報」を持ち得ているということになるので、すべからく皆「知識は多い」という状態になれるはずです。

ですがそうはなっていません。
それは何故か?

さきほどの「思考を継続的に続ける」という部分が必要になるからです。
私もWebは日々見ています。SNSに上がるさまざまな人の投稿なども見ています。
しかしそれは「瞬間的」にしか脳を使っていません。

誰かのシェアした情報への感想を読んで、そのシェアされた記事を読む。
これらで使っている時間は、平均すれば恐らく数分程度ではないでしょうか?

一件知識を得ているように思われるのですが、脳にとっては「刹那的な快楽」状態で、実はまったく負荷がかかっていないのです。
この状態は脳にとっては「楽」な状態です。
これで満足することに慣れている人は「企画を1時間ぶっ通しで考える」ということに脳が耐えられなくなり「もう考えるの、無理!」となります。

では「読書」はなぜいいのか?
読書をするのは紙の本でも電子書籍でも別に構いません。重要なのは別の点です。

読書というのは、

  • 一気に一冊読む場合は、読み終わるまで本のテーマのことを脳が追い続けている
  • 複数回に分けて一冊を読む場合も、
    • 読んでいない時でもその本で読みすすめた部分までの内容を頭に残したままになっている
    • もしくは読み返した時に前回までのところを思い出すことで思考を継続化させる

という「脳の緊張が持続している」状態、頭のリソースを継続的に使い続ける状態を維持することができます。

それ故、Webサイトの記事をどれだけ沢山読んでいても、知識は身につくが「思考の継続力」は身につかない訳です。

これらの状況から考えるに「脳を継続的に考え続けているという負荷状態にする機会をどれだけ沢山の時間もてるか?」が地頭がいいを作る要素となるはずです。

そのために先達は「本を読め」と言っているのではないでしょうか。

それ以外にも方法論はもちろんいくらでもあるはずです。ですが、その一つの方法として読書を上げたいと思っています。

受験勉強も「地頭のよさ」を形成する上でかなり有益、一方で大卒でなくてもそれを凌駕する方法

その意味では「受験勉強」における最大のメリットは「ひたすら勉強し続ける」という「考える・記憶する……という脳にとって過負荷な状態を継続的に半年なり一年なり続ける」ことができることではないでしょうか?

小・中・高校生といった「勉強以外に何もしなくていい」年齢の時に、その時間を徹底的に使いこなした人は「地頭がいい」への素養ができているはずです。

また受験勉強における知識そのものは、多くの社会人にとって直接的には役に立たないでしょう。ですが冒頭で書いたように、「一定量の知識量」が地頭のよさには必要です。

その時、直接的に使う訳ではないですが「一定量の知識」を埋めるためのには極めて有益です。
その知識があることによって「その次の情報の習得コスト」が下がり、新しい知識の吸収量と時間がどんどん短くなっていきます。

また「大学生」という時間についていえば、授業をまじめに受けていた人は「知識量」の積み重ねになります。
仮に授業をまじめに受けていなかったとしても卒業するためには最低限単位を取るテストのための学習が必要であり、そのため、詰め込みであってもテスト勉強や卒論の作成が必要です。
そしてその為にやはり長時間考え続ける機会を強制的に得ることになるのです。

この時間を取れる事自体が大学の一番のメリットなのではないか?と考えています。

では「受験勉強」「大学卒」をしていない人は地頭がよくならないのか?と言われると、その答えはNoと考えます。

さきほど書いた通りで「地頭の良さ」を形成するのに必要なのは「一定の知識量を蓄えること」と「思考を継続的に続けられる状態に脳を鍛えること」です。
そのための外的な条件などから一番コストメリットが高いのが「大学受験」「大学生活」というだけのことです。

では高卒といった学生の方の場合はどうすればいいのか?

受験勉強の代りに「読書」を行えばいいのです。
大学生は、高校卒業から社会に出ている人と比べると「社会人経験」は追いつきません。
では逆に高校卒業の人が社会に出て社会人経験を積んでいる最中に、できるだけ若いタイミングで寸暇を惜しんで読書量をこなしていけば、一定のレベルで「地頭の良さ」という意味では大学生を凌駕できると考えています。

ただ上記で、

外的な条件などから一番コストメリットが高いのが「大学受験」「大学生活」

と書いたのは、大卒であろうと無かろうと、社会人になると「生活」という外的な条件が入ってくるのです。

生活基盤を作るために読書に時間・費用を割くことが難しくなる……というのが実情ではないでしょうか。「地頭の良さ」を作るうえで「大学受験」「大学生活」コストメリットが一番高いと書いたのはその理由によるものです。

読書量の多い人・年配の人からの「本は20%が本論だよ」を鵜呑みにしない

読書について、年配の方とかが「本は20%が本論で後は枝葉だよね」ということをいう方がいます。読書量が少ない方はこれを鵜呑みにしないでください。

さきほどまで書いた通りで「読書」の効能は「知識を増やす」ことと「脳に継続的に負荷を与える」事の2点あります。

本の内容を読んでいて、読み終わって「これは◯◯が言いたかったことだな」というのはいいのですが、私は一定量の知識が増えるまでは全部読むことを薦めたいと思っています。
最後まで読み続ける「脳の緊張状態」を解きほぐしてしまうのは、せっかくの本を買った意味がなくなるからです。

先輩諸氏が「本は20%」と言っているのは「すでに一定の知識量があり、知識の吸収量が上がっていて、一定の体系化された知識がある人」が本を読んだら、本の中身は20%と言っているに過ぎません。
本をあまり読んでない=知識量が圧倒的に足りない人がそれをやれば、本の知識の吸収量も不十分ですし、脳へ負荷をかける時間がなくなるので、せっかくの本の価値を十二分に使わないままになってしまいます。

ですので100〜200冊ぐらい本を読んでから、「本は20%が本論だよ」という方がいいように思います。

まとめ

これだけ「本を読め」といっている名村はどうなんだ?という話ですが、私は22歳の頃から「月に10冊新しい本を読む」ことを、これを書いている43歳の今まで続けています。

本の中身は別として、とりあえずこれまでで2500冊ぐらいは読んだことになります。(それでも世に出ている本からしたら「たった2500冊か……」という気がしているのですが……。)

またここ数年はまとまった時間が取れない場合もあるので、「読書合宿」をしています。
これは単純です。
二泊三日ぐらいで旅館に泊まって、ただひたすらずーーーーーーーーっと本を読むだけです。
いわゆるハードカバー系の本であれば5冊〜8冊ぐらいは読めます。

そして今回このことに思い至ったのは、幾つかの経験があったからです。

  • 30歳のころ、2時間ぶっ通しの打ち合わせを終えた後、頭がまったく動かずぼーっした状態になっていたが最近はそれぐらいではなんともない
  • ある人と2泊3日ぐらいで企画を作る合宿中に、相手が「もうこれ以上考えられない!」ということがあったが、私はまだ余裕があり、なぜその人はその時間でそうなったのか?
  • それなりに知識も経験もある人なのに、ある事象を前にして答えを模索した時、思考の深度が低く、導き出した答えにツッコミどころが多数ある

といったことからでした。

私は自分のことなので私自身が地頭がいいかわからないのですが、「一定時間考え抜いたり、脳内で試行錯誤を継続的に繰り返す」ことが自分の中でそれほど負荷にならなくなったのはなぜだろう?ということを棚卸ししていく中で、今回のこの記事の考えに至りました。

その意味もあって、今回の話題は思考を深く掘っていく必要のある内容だったので、長文だとかどうとか考えず、余すことなく私の頭の中を書いていきました。

冒頭で、

 今回はその「長さ」にも意味がありますので、ぜひ頑張って読んでもらいたいと思っています。

と書いていたのはそういう訳でしたが、皆さん、ここまでたどり着きましたでしょうか?(笑)

たしかに「一定量の知識を得る努力」「読書を継続的に行う努力」は大変なことです。
ですが恐らく今一定の結果を出している人は、少なからずここで長々分解しているようなことをやっているのだと、私の周り人の行動を見ていて思い至りました。

もしこれを読んで「なるほど、そうか」と思っていただいた方は、あとは実践をするだけです。
実践は簡単です。
ただ本を読めばいいのです。

人によって「有機的に連鎖した知識体系」に至るまでの知識量は差異があると思いますが、恐らく100〜200冊ぐらいで一定の状態になるように思えます。

逆に言えば200冊本を読めば「地頭がいい人」になれるなら、ゴールが見えている分、簡単ではないですか?
その結果として得られる人生の楽しさや成長はその数百倍の価値があると私は考えています。

皆さんの参考になれば幸いです。
また今回のこの記事ですが、共感をいただけたならSNS等でシェアしてもらえるととても嬉しいです。


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