2019.09.04 代表ブログ

コミュニケーションスキルアップは◯◯のパターンを掴むことだった!

コミュニケーションにおけるタイプを知ればスキルは上げられる!

東京のWeb制作・ホームページ制作・システム開発会社サービシンクの代表、名村です。

仕事のみならず、近年「コミュニケーション」という言葉で定義されるものは、生活や仕事の中でものすごく大きな要素になってきました。

「コミュニケーション」の上手下手、得意不得意といったものが、生活や仕事を上手くすすめる上で重要であり、不得意なことを示す言葉として「コミュ障(コミュニケーション障害)」といった言葉まで日常会話で使われるようになってきました。

私は元々が役者だったこともあり、場の空気や相手の感情を「読み取ろう」ということが意識の中に染み付いています。(正確に「読み取れているか」というのはまた別の話ですが)

しかし、それが苦手な人もいますし、苦手な人にとっては、「苦手」なのでできれば目を向けたくないし克服するとかもってのほか・・・となります。

結果として年齢を重ねると、得意な人はますます得意に、苦手な人はますます苦手に・・・となってしまいがちなのも「コミュニケーション」の怖さだったりします。

今日はこの「コミュニケーション」について書きたいと思います。

コミュニケーションは上手でなければならないのか?

そもそも「コミュニケーション力」と取りた出されていますが、実際問題として「上手」にならないといけないのでしょうか?

明るい会話のイメージ

人によっては「別にそんなにコミュ力上げて誰とでも仲良くなりたい訳ではないし、上手な人って八方美人っぽくて中身ないよね」みたいな極端なこという人もいます。

「コミュニケーション」っていうと「人との接し方」と包括されてしまっているので、要不要が本人の気分次第で「どちらでもいい・・・」ような感じになってしまいます。

また確かに「コミュ力」が高い人は、外から見ていると「友人・知人・知り合い」が多いようにも見え、それは「外交的」「明るい」「相談しやすい」「頼りがいがある」みたいに映ることも確かです。

だからこそそれらが苦手な人は「内向的」「話しづらい」「暗い」「頼っても無碍にされそう」とか思われるのかもしれません。
ですが、雰囲気としての「コミュニケーション力が低そう」と思われる人でも友人はいますし、その友人とのやり取りではとても頼られていたりすることも多々あります。

そのため「あの人コミュ力低そう」といわれてしまっている人でも、そのことで「実害」がなければ必要以上に上手になる必要性を感じない訳です。

では逆に発生しそうな「実害」から考えてみたいと思います。

その実害が自分に当てはまらなかったり実害にならなければ、今のコミュニケーションスキルでも問題ないのではないと思います。

全員が理屈だけで割り切れ、感情を挟まないならコミュニケーション力は低くてもいい

もしコミュニケーションを取る相手の全員が「要件だけ」で何も問題がないならば、「事象を正しく伝える」スキルだけで十分と思います。

感情からくる部分を一切除外し、要件のみを伝える。例えば・・・

「メシ、フロ、寝る」

とかでしょうか・・・?(汗)

これを言われた相手側も感情面でのプラスもマイナスも一切なく、言われたことを100%理解でき、結果としての行動にも何も問題がない。

それならば「相手のことを考えたコミュニケーション」といったことは不要になります。

ただ、これで成立するのは人間が感情の動物である以上不可能だと思います。

となると、コミュニケーションには事象を正確を伝えるだけではなく「感情」の側面をフォローする施策も合わせて必要になってくるように思えます。では感情面を無視するのは「不可能」と書きましたが、どういった実害が出そうでしょうか?

自分の物言いを相手が必要以上に「よく」「悪く」受け止められることがある

コミュニケーションに感情が入っている以上、自分が発しているコミュニケーション手段に込めている内容が相手側ではいくつかのバイアスを通して受け取られてしまいます。

一般的に言われるコミュニケーションバイアスは下記です。

  • 認識バイアス
  • 論理バイアス
  • 伝達バイアス
  • 忘却バイアス
  • 感情バイアス

これらのバイアスによって、自身がコミュニケーションに込めたものは相手側には異なる内容として理解されてしまう特性があります。

特に「感情バイアス」は伝えている内容は間違っていない・過不足もないのに相手の感情・バイオリズムの状態などで正しく伝わらなくなってしまうバイアスです。

困っているイメージ

この結果として、相手側に必要以上に「よく受け止められる」「悪く受け止められる」ことが発生します。

「よく受け止められ」た場合も、それが商品の説明等の場合には「過剰品質」への期待となり「100円の買い物でも高級デパートと同じ程度の対応を受けられる」と思われしまうような事に繋がりかねません。

「悪く受け止められ」た場合には、何も悪いことをしていないのに相手がこちらへ一方的に不信感を表す・・・といったことに繋がりかねません。

コミュニケーションで難しいのは、このバイアスをいかに少なくし、過不足なく相手に理解をしてもらえるか?です。

この過不足が発生するのをできるだけ避けなければ、結果として自分の不利益に繋がってきます。
不利益は先に書いた通りで仕事でいえば「相手が怒る、失注になる」といったことになりますし、プライベートでいえば「返事をくれなくなる」「友達付き合いがなくなる」といったことになるでしょう。

その時の相手との関係性がなくなっても「次を考えればいい」と思えるならばそれはそれでもいいのですが、それでは困る場合も少なからずあると思います。

コミュニケーションは「相手がどう受け取ったかが全て」

私は自分が役者・俳優をしていた経験から、コミュニケーションとは「相手がどう受け取ったかが全て」であると考えています。

そういうつもりは一切なかったんだよ、誤解だよ」といった言葉があります。

俳優の世界でこのセリフがまかり通るならば、僕は今ごろ稀代の名優になっているはずです。なぜなら、僕は監督、演出、お客さんからこき下ろされようが、「僕はそういうつもりで演技をしていたんじゃない、こういうつもりだったんだよ」といえばいいわけですから。

でもそれは通りません。

俳優、役者は視聴者、観客が「面白いと思ったか否か」で能力が判断されます。どんな役者さんも「下手くそに演じてやろう」と思っている人はいません。ですが、視聴者には「あの人は下手だ」といわれてしまうのです。

コミュニケーションもそれと同じと考えておくべきだと思っています。

「そういうつもりは一切なかったんだよ、誤解だよ・・・」

は、「受け取る人が誤解となるような手段で伝達をしてしまったため」に意図と違う受け取られ方をしてしまったから起こる結果です。

相手の受け取り方の癖、それを言われた時の相手の心情、その事象自体の良し悪し、相手の体調、などなどといった様々な要因によって「自分が思っているのと違う受け取られ方」をされてしまった訳です。

発信側の方法が間違えていたことから意図しない受け取られ方をしている。

これを正すには「相手が正しく受け取ってくれるであろう方法」を模索して、その方法で投げかける以外にはなさそうです。

結果としてよく言われるコミュニケーションのキモ

その結果としてよく言われるコミュニケーションのキモとも言えるのが、

  • 相手の気持をもっと考えなさい
  • 自分が言われて嫌なことは相手に言わない
  • そのセリフを言われて相手はどうおもうと思う?

といった言葉です。

これらは正しいように思うのですが・・・このセリフって私が子供の頃から言われていて、きっともっと以前から言われていたのだと思います。

それでも人のコミュニケーションでは「誤解」から生まれるミスコミュニケーションが続いています。

これは単純に「相手のことを考えなさい」だけでは共通理解にならない原因があるように思います。そうでなければ、わざわざ喧嘩を売りたいのでなければ、こんなにずっとミスコミュニケーションが続くのはおかしい。

とすると、何か万人に共通と思われていた「理屈」だけでは解決しない特性があるように思います。

理解しやすい方法論の紹介

コミュニケーションについては、それこそ世界中でいろいろな書籍やセミナー、研修があります。個人的には、2004年頃にNLPのプラクティショナー研修も受けました。

その中で最近とても「あぁ、そういうことかも」と腑に落ちる方法論が、テービー・ケーラー氏が構築している「PROCESS COMMUNICATION MODEL(PCM)」です。

このモデルを導入しているのが、Apple、IBM、Coca-Cola、IKEAなどなど、また「NASAの宇宙飛行士の選択のためにも利用されている」らしく、そう聞くとすごいですよね。

このブログにおいて私は中立なので敢えていいますが、導入している社名の企業規模的には「社員研修の為にこれ以外にも(きっと)数十のコミュニケーション研修を実施」しているはずなので、導入実績だけをみて「この研修、超絶すごい」とはとりあえず思わないようにしているのですが(笑)、それでも何かしらの効果があるから導入されているはずです。

  • 「PROCESS COMMUNICATION MODEL(PCM)」を提唱しているKahler Communications, Inc.
    https://www.kahlercommunications.com/
  • Kahler Communications, Inc.の日本支部のサイト
    https://www.kcj-pcm.com/ (セミナー流入させたいわけではないので、リンク張りません)

知人の紹介を受け、先日この研修を受けましたが、提唱している「PROCESS COMMUNICATION MODEL(PCM)」の考え方では、

  • 人には「6つの資質」がある
  • 人はその一つだけを持っているのではなく「6つの資質」を全部持っている
  • 6つは積み重なっている形で捉えることができ、下にあるものほどその人にとって強い=使いやすい資質
  • 上にある資質も自分の資質ではあるが、意図的に使わないと使いづらい資質

という考え方でした。

6つの階段のメージ

研修において私のパーソナリティーパターンを解析してもらったのですが、我ながら「あぁ、確かに・・・」と理解できる(後述)上に、数人にこの研修の概要を説明した上で私のパーソナリティーパターンを見せたら「思った通りだ!」と言われました(笑)

セミナーを受けるかどうか皆さんにおまかせします(私にも会社にも何もメリットは特に無いので)が、個人的には頭で書いた通りで、人の個性の違いを言語化した上で「あぁ、そういうことかも」と思えるものでした。

このセミナー自体で「コミュニケーションが上手になる」訳ではありません。
どちらかというと「他の人の思考のパターンを理解することができるようになる」という内容になっています。(人によってはコミュニケーションスキルが上がるとも思います)

近年「人の感情」が分解されつつある

この研修をうけたり、様々な本を読んでいたりして最近思うのが「人の感情」のあり方は徐々に分解、言語化、ある程度の解析が進んできていることです。

少し前までは「人の感情なんて人それぞれ」という一言で片付けられ、理解が出来ない相手のことは「相手は相手、所詮他人の考えなんて理解はできないよ」「人は分かりあえないものさ」と言われていました。

しかし、おそらくITが発達し、ビッグデータの時代になり、それまでは余りにも細かすぎた人の感情パターンなどを分類するための分母のN数をデータとして用意することができるようになってきました。その結果、それらの中からパターンを見出すことができつつあるように思います。

それだけで全て解析できる訳ではありませんが、それでも一昔、それこそ20年ぐらい前と比べても圧倒的に「人を理解するための方法論」はできつつある気がします。

コミュニケーションの上手下手が「実害」に繋がり、感覚論の話ではなく座学で一定のレベルの理解ができるものなのであれば・・・、現代の我々にとっては義務教育で学ぶのと同じぐらいの気持ちで「コミュニケーション」の方法論を学ぶべきではないでしょうか?

前段で私が書いた「コミュニケーションは『相手がどう受け取ったかが全て』」であるという点に立つならば、少なくとも「相手がどう考えるか?」という部分を論理的に理解ができ、相手に「合わせる」方法が分かれば、今よりもミスコミュニケーションはぐっと減ると考えています。

「思いやる」ことも得意不得意がある

「コミュニケーションのキモ」の所でも書いた「相手の気持をもっと考えなさい」ですが、先程の「PROCESS COMMUNICATION MODEL(PCM)」を前段に考えると、そもそも「相手のことを思いやる」ことが悪意なく「不得手」な人が存在します。

これは人間味が無いとか、思いやりがないとかって訳ではなく、その資質は持っているのですが、それよりも自分の中で優先してしまう資質、得意な資質があるのです。

資質の優先度は生まれてからの環境によって決まり、自分が所属しているコミュニティにおける優先度とは全く別ものです。

自分が所属しているコミュニティ(会社とかプライベートの友人など)では「思いやり」が大事かもしれないですが、ある人にとっては頭で理解する以前に「それより優先度が高い資質」があるのです。

そういった人を周りから見たら「あの人はコミュニケーションが下手だよね」「思いやりがないよね」と評価されてしまいます。

それはそもそも双方での「資質の優先度が違う」だけです。
そして優先度が違うので、中でも最も組み合わせが悪い優先度の資質を持った相手との場合には「喧嘩」になってしまいます。

ですがこれは双方が相手を「憎くて」喧嘩になっているのではなく「なぜそう考えるのか理解できない!」と双方が思っているのです。

とすると、実は先程書いたキモも、

  • 相手の気持をもっと考えなさい
    → 自分なりに相手の気持ちは考えた上で言っている
  • 自分が言われて嫌なことは相手に言わない
    → 自分がそのセリフを言われても本心、嫌とは思わない
  • そのセリフを言われて相手はどうおもうと思う?
    → 自分はホントに悪気なくどうも思わない

となっているかもしれません。

こうなると大変です。

どちらか一方が比較的多くの人が賛同する意見を言っていたとしても、相手の態度は暖簾に腕押し状態、ともすれば「開き直っている」とも受け取られ「世間一般で正しい(はず)の理屈を理解しない相手が悪い!!」となってしまいかねません。

喧嘩のイメージ画像

この場合に、

  • あれ、この人にとって優先度が高い資質は◯◯だから、✕✕と言わないと伝わらないのでは?
  • この人の価値観は自分にとってはあまり理解はできないが、言っている事の一部は分かるし、理屈としても正しい。

と思えるれば、「相手の受け取り方・受け止め方」を考えてコミュニケーションをしない限り、その相手とは絶対にわかり合うことが出来ない・・・・という事になってしまいます。

仕事での適職・適正はタイプとの掛け算になってくる

このことを考えると、仕事においても、自分の適職・適正を図るためにも、自分の「タイプ」を知っておくべきと思います。

先日私が経験したことです。

私は比較的普段からいろんなことを考えています。正確には「その事象の理屈」を考えています。役に立つことも役に立たないことも理屈をつけて「理解」をしなければ気がすまない性質です。

ですので理屈を考える上で分析をすぐにしています(この分析が正しいかは別ですよ)し、結果として「クリティカルシンキング」「5回のなぜ」が得意だと思います。理屈を考えて頭を使っている間はむしろ「楽しい」と思えるぐらいの感覚です。

また、高校時代に、将来の職業として「教師」を考えていたことがあります。それは、自分が頑張って考えなくても「相手がなぜ分からないかが分かる」からでした。

ですので「1+1=2がなんで分からないの?当たり前でしょ?(怒)」とはならなず、「それをどうやったらこの人に理解してもらえるかな?」という思考にすぐになります。
そこに精神的な負担は何もなく「どう伝えたらいいかな?」と即座に思えるんです。

「PROCESS COMMUNICATION MODEL(PCM)」の分類で言えば、名村にとって最も強い資質が「シンカー」と呼ばれているものです。

シンカーの資質(https://www.kcj-pcm.com/6/ より抜粋)

  • 目標から逆算して考え、効率的・合理的に進める。
  • 自分にとって合理的なパターンや秩序を作る。
  • 計画立案や事前準備などが得意。
  • 無表情で冷静に話し、質問が多い。

ここに書かれた通りです(笑)。名村のことを知っている人は「ああ、そうだね」と思うのではないでしょうか?

ですので、戦略を考えたり戦術を考えたりするのは好きだし得意です。だからディレクターを続けられているのだとも思います。

一方でこれを考えるのが「資質として」苦手な人がいます。

資質として持っているはずなのですが「普段は使わない」「使えると思っていない」人にとっては、名村にとって当たり前にしている思考が「なぜそう考えるのかが理解ができない」「◯◯と考えてみたら、✕✕でしょ?と言われても分からない」となるそうなんです。

分からなくて困っているイメージ

このブログを読んでいる方は比較的社会人の方が多いと思いますが、社会人経験を積んでいくと、会社としてのジョブローテーションや、出世によって技術職からマネジメント職に変わることがあると思います。

この時「それまでなんともなく出来ていたことが、職域、職級が変わって全く理解できない」ということは、この「使う資質が変わっている事を理解しないまま、それまでの資質で対応している」からだと思われます。

「無意識の苦手」が重要な仕事・職域を選ぶと辛い

この自分にとって「使いづらい資質」は「無意識の苦手」とも言えると思います。

無意識のレベルで苦手なので「頑張ってやっている」けども、効率は上がらない訳ですし、やり始める度にフラストレーションがのしかかります。
しかも本人的には頑張っているのに結果が伴いづらいので、上席からは「なんでこんな事が出来ないの?」「◯◯として(例:マネージャー)これができてもらわないと困るよ」と言われてしまう訳です・・・。

恐らく従前の日本の会社的な判断で言えば、

  • できると思ってその職域に据えている
  • その職域になったのだから、苦手とか不得手ではなく出来るようになってもらわないとこまる
  • 仕事なんだから「苦手」とか関係ない
  • だって、これまでの人も苦労してその仕事ができるようになっているんだから今できなくても出来るように頑張りなさい

となるのではないかと思っています。

実際社会人の先輩方はそうして頑張ってきたのだと思います。ただ、実際はそれに適合できなかった人は「出世競争から脱落した」と言われ、その人の内面には光が当たらないので、事例として把握されなかった・・・というのが正解でしょう。

正直私も先日の研修を受けるまでは「職域のスキルは身につけるもので、出来るようになってもらわない困る」と思いこんでいました。

一方でこうも思いました。

「不得手を理解しないまま、その仕事に就いた」人は、恐らく一方的に「自分の無能を責める」ようになってしまうのではないか?

これは自分も上司も含めて「その人の資質」を理解しておかないと大変な不幸になります。
また救いがあるのは「求められる資質は持っている」ということですが、その資質を使えるようにする訓練が必要だということです。

「やりたいこと」と「出来るること」を理解する

同じく仕事において「やりたい」と思うことと、自分の資質的に「負荷なくできる」ことを理解しておく方がいいと思います。

「これをやりたい」と思っているのに、実はそれが自分の資質的にすごく出来るようになるのに負荷が高いものの場合には、なかなか日の目を見られないかもしれません。
それが仕事だったりする場合には、時間経過とともに年齢を重ね、いろいろな意味でやり直しがきかなくなる可能性があります。

私個人のことでいえば、俳優・役者になるための資質は「苦手側」の方に集まりすぎていました。「やりたい」「夢」と思い大学時代から足掛け9年間やってきましたし、今でも憧れがゼロになっている訳ではありませんが、それでも足を洗って正解だったと思っています。

一方で、セミナーの講師やプレゼンテーションの場では「俳優」的なことをする上で有益な資質を使っています。ですので、やはり資質を「持っていないわけではない」のです。

しかし「それが最も上手に使える人たち」の集団の中では、やはり一段も二弾も落ちてしまうので、その場で競い合うのは得策ではないわけです。

では「出来ない(苦手)」なことが「どうしてもやりたい」時はどうしたらいいのか?
「苦手な資質」ではあるけど、それを使った仕事を「どうしてもやりたい」時は・・・人の数倍頑張ってその資質を磨く必要があります。

人とどうしても比べられてしまいますが、歩みの遅いことを嘆く前に愚直に出来るようになる訓練をするしかありません。ただ、それであっても様々な「デッドライン」までに出来るようになるかは分からず、最後は想いの話になってくるかもしれません。

最近の企業の経営方針の二大方針

今回のブログを書いていて、思い当たることがありました。

最近ベンチャー企業界隈では、経営の方針・指針として目立った理論があります。
それは「『ホラクラシー』『ティール』」と「識学」です。(ホラクラシーとティールは全く別というのは一旦省きます)

経営者のイメージ

端的にいえば、

  • ホラクラシー・ティール:情報を完全にオープンにして、各自が動くべき指針を決め考えていく
  • 識学:上意下達の元で各自が与えられた職域のみを徹底して行っていく

といったもので、最近それぞれが経営方針としての両極端に上げられたりしています。

どちらがいい悪いという話はここでは致しません(なお、サービシンクでは識学を取り入れています)。

ただ、今回このブログを書いていてどちらも「その理論だけ」では上手くいかない・・・という点が見えてきました。

両方の理論を本気でやっている会社はその素晴らしさを表に出しています。さらに「会社という組織ではこうあるべき」という論調です。しかしこれには私の中で常にどこかで「ホントにそうなのか?」が残っていました。

それは両者とも、

それぞれの経営方法に対して、マッチした資質を持っている人がその組織・コミュニティに在籍しているから回っている

ということです。

「何をしたらいいのか具体的に指示を出してもらわないと動けない」という人は実際に存在します。その人にとっては「識学」の方法論は恐らく素晴らしいはずですし、パフォーマンスはものすごくがあります。

一方で逆もあり「人に細かく言われると返って動けないが、仕事の責任感はすごくあるし、会社をもり立てたいと思っている」人にとっては大きな会社組織は合わないと思いますし識学の考え方は嫌悪の対象にすらなると思いますが、ティールやホラクラシー経営をしている会社では水を得た魚のように結果を出せると思います。

どちらかの方法論が万人に当てはまる訳ではなく「方法論 ✕ その人の資質」の掛け算が必要だったのです。

この2つの「どちらが良し/悪し」ではなかった

つまり、この2つは「良し悪し」の話ではなく「そのやり方にマッチした資質を持った人が集まって成立」しているわけです。

方法論はいつの時代でもアップデートはされていきますし、広める時はその「良さ」を訴求します。

ですが、合う合わないは「良い悪い」とは別の観点の話です。

会社側も従業員側も「合わない」時に「他方が合わせないのが悪い」といい合うのはコミュニケーションと同じで「こんなに分かりやすいのに理解しない相手が悪い」となるのと同じです。

しかしなかなか「何がマッチしない要因なのか」が言語化されてこなかったため、双方にミスコミュニケーションが生まれているように思います。

コミュニケーションは何のために必要か?

翻って冒頭の「コミュニケーション力は必要なのか?」ですが、個人的には、

  • 座学として学べる理論は理解をするべき
  • 自分にとって「正しい」考え方を、悪意なく重要と思わない人もいることを理解する
  • 世間の大多数にとって「正しい」考え方も、悪意なく重要と思わない人もいることを理解する
  • 相手に「理解を求める」よりも「相手の資質」を理論の中から捉えて、それに合わせるコミュニケーション方法を考える方が建設的
  • 感覚的にコミュ力を捉えられる人は強いが、一定のレベルにはコミュ力は上げられそうなので、訓練をしてみると、人生が少し楽になるかもしれない
  • 結果的に受けなくて良い「実害」を避け、自分がやりたいことをやれるようになる可能性が強くなる

と思います。

その意味では、無意味に「コミュ力を上げましょう」とは言いませんが、「方法論で学べるならばやっておけば、総じてメリットのほうが大きい」と考えています。

皆さんにとって「コミュニケーション力」を捉える一つのきっかけになれば幸いです。


東京のWeb制作・ホームページ制作会社代表の名村のブログ

1996年からWebサイト・ホームページ制作・システム開発をおこない続け、2000年〜はHOME'Sを始めとした不動産業界のWeb制作を20年に渡っておこなってきたサービシンク代表の名村のブログは下記からご覧いただけます。

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